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見逃せるほど寝ぼけてはいない。いや、寝ぼけていたって気付いただろう。むしろ、マックスはこの現実が悪い夢だと思いたいくらいだった。イヴの左手薬指、そこに填められた美しい指輪。誰も彼もが彼女と、その恋人——ヌードルスに祝いの言葉を投げかけていた。
「おいおい、なんだヌードルス! お前ようやく決心ついたのかい!」
まずヌードルスに話しかけたのは、このもぐり酒場の主であるファット・モーだ。
「まあな。そろそろ落ち着こうと思って」
「しかし、まさかヌードルスが俺たちの中で一番乗りするとは思わなかったぜ」
また、コックアイが会話に入って来る。
「多分お前が一番遅いだろうな」
ヌードルスがそう言うのも、コックアイは自分の顔の良さにかまけ女をとっかえひっかえしているからだ。少し前、二股どころか五股をやらかし彼女の何人かにひっぱたかれたのは、また別の話だ。
「ま、俺たちの中で一番乗りしそうだった奴と言えば……」
コックアイはゆっくりとパッツィーに視線をやる。
「おいパッツィー! まだペギーにプロポーズしないのか!!」
向こうで酒を飲んでいたパッツィーが噴き出しむせた。そばにいたペギーは意地悪くにやにやと笑っている。
「別にいいのよ。あんた結婚したら相手を束縛しそうだし」
「…………」
パッツィーはわかりやすく頭を抱える。男たちがばか騒ぎをしている間、イヴは女性陣から祝福の声を受け取っていた。彼女は穏やかに、幸せそうに微笑んでいる。
「ヌードルス」
マックスは、ようやく意を決してヌードルスに語りかけた。本心ではない言葉を贈る。
「おめでとう」
「ありがとう。お前もキャロルを幸せにな」
「お前も」。その台詞が存外にマックスにひびを入れた。
(お前は幸せになるつもりなんだな)
俺を置いて。
キャロルは彼らの会話を聴いていたが、——マックスに話しかけようとはしなかった。こういう時の彼は、何を言っても激高する。しばらくの付き合いで、愛する人の沸点は大体理解したつもりだ。
「ねぇ」
黙って酒をたしなんでいたキャロルに話しかけたのは、他でもない今夜の主役だと言えるイヴだった。
「私、マックスに挨拶した方がいいかしら」
「どうして私に訊くのよ」
様式美のごとく、返事を返したが、なぜイヴが尋ねてきたのかはよくわかっている。彼女自身、マックスから嫌われていることを自覚しているのだろう。
「彼があなたたちの結婚を止めるとでも?」
正直やりそうだ、と思ってしまった。彼は果たして二人の結婚式を見届けることはできるだろうか。
はぁ、とキャロルはため息をつき、おそらく最も穏当に済むであろうやり方をイヴに提案する。
「挨拶したいのなら、ヌードルスと一緒にね」
彼は、いつだってそうだ。ヌードルスがいるだけで機嫌を良くする。はたから見ればあまりにもわかりやすいのに、あの男の朴念仁っぷりは本当に恐ろしい。
一方マックスは、その機嫌を装うのに必死だった。いらつきを、不満を、覚られてはならない。
彼が出所してから、こう偽ることが増えてきたような気がする。昔はそんなことなかった。ヌードルスがそばにいてくれさえいれば、満足だった日々。愛する人が消えてしまったあとは、とにかく必死だった。——彼を、完璧な形で迎い入れるために。それが、自分を変えたのだろうか。
(違う。俺は何も変わっていない。だって俺は変わらずお前を……)
「マクシー」
ふいに、彼に話しかけられびくりとする。だが、きっとばれてはいない。
「なんだよ」
何気なしに出した声は、無意識に不機嫌さを醸し出していた。
「イヴが挨拶したいって」
「マックス、あなたには……」
「いい」
マックスは自然にイブの言葉を遮った。——彼の拒絶により、イヴはわかりやすく固まる。だが、固まったのはマックスも同じだった。さっきから、自分でも予測していない行動をしすぎだ。飲みすぎたのだろうか。
「いや……そうじゃなくて……」
気まずい沈黙が流れる。ヌードルスも、イヴも、怪訝な様子でマックスを見ている。
「……すまん。飲みすぎたみたいだ。休んでくる」
そう言ってマックスは、足早にパーティ会場をあとにした。ヌードルスとイヴは無言のまま、彼の背中を見ていた。
宣言通り、マックスはオフィスのソファで横たわっていた。普段、こういうことはしない。だが今夜は、精神的におそろしく疲れた。
扉の向こうは、いまだに喧騒が鳴りやまない。
もう帰ってしまおうか、とすら考える。この騒ぎも二人の結婚を祝福するものだと思うと、さらに心を疲弊させた。
(もしも)
もしも万が一に、自分とヌードルスが結ばれたとしても、ここまでの祝福はされないだろう。むしろ、非難の声が中心になる。
だから、今の状況が理想なのだ。マックスは何の罪悪感なしに彼のそばにいられる。ヌードルスは自分を選んでくれた。幸せなはずなのだ。なのに——
『お前は狂ってる』
あの日、フロリダの海岸で聞かされた言葉がいつまでもマックスの頭に反芻した。ヌードルスは気付いている。己の恋心でなく、狂気に。この淡くもろい想いよりも、ずっと気付いてほしくなかった、自分の闇に。
まるで子供みたいに、マックスはソファの上で膝を抱えて丸まった。
「マックス?」
しかし、突然声をかけられ、すぐにその姿勢は解かれた。
「ヌードルス……」
「なんだよ。マジで具合悪いのか」
「……拗ねて閉じ籠ったって?」
実際はそうだったのだが。
「まあ、イヴにはそう言っとく」
「お前な」
軽い掛け合い。これだけでもマックスは自身の心が潤っていくのを感じた。
「マクシー」
ヌードルスはソファのそばにある机に腰掛け、改めてマックスの目をまっすぐと見た。
「なんだよ、改まって」
「いいや、礼は言っておこうと思って」
久方ぶりに見たような、ヌードルスの真剣な顔。マックスは黙って彼の言葉を聞く。
「あの時、お前が俺を迎えてくれたから、——いや、お前が俺を忘れていなかったから、今俺はこうしていられる」
当たり前だ。忘れるわけがない。忘れたが最後、きっと自分は自分でなくなる。
「ありがとうな。——今まで、本当に」
「今まで」。礼よりも、その単語が強くマックスに響く。
そういえばヌードルスはこんなことも言っていた。
『そろそろ落ち着こうと思って』
マックスの胸が跳ねる。己にとっての、最悪の未来が想定された。
ヌードルスは、はじめから連邦銀行襲撃について乗り気でなかった。かつて彼に語った夢。あの海で、否定するでもなく、ただ拒絶の言葉で放られた夢。
「マクシー?」
固まったマックスに、ヌードルスが心配そうに顔を覗く。今、自分はどんな顔をしているのだろうか。
「本当に悪そうだ。帰った方がいい。みんなには言っておくから」
そう言うヌードルスは、本当にマックスを案じてくれているのだろう。
「……ああ、そうさせてもらう」
そうしとけ、それだけ告げて、ヌードルスは再び喧騒の中に帰っていった。
シャーキーが話していた、警官の名はなんだったろうか。一人残されたオフィスでマックスは思案した。
